バスの後ろで

今日も出校の為にバスに乗り、運良く最後尾の座席に座る事が出来た。後部から見たバスはいつもより広く見える。
眠り足りない後頭部、外の景色を眺める後頭部、席に座らずに立っている横顔。どれもそれなりに面白く、日常の光景になりつつあるバスにも再び新鮮さが芽生えた。
この広いバスの中に、今日私は人の優しさとその真逆の感情を目の当たりにした。


痩せた老婆がバスに乗ってきた。
老婆は二つある席を一人で占領していたスーツ姿の若者に話しかけている。場所的に遠かったので声は聞こえなかったが、多分席の一つを譲って欲しいと言ったのだろう。
なるほど老婆はバスの振動に耐えれそうな体では無い。ここは席の一つぐらい譲ってお年寄りを不慮の事故から未然に防ぐのが社会人としてのマナーだろう。しかし、スーツの若者は老婆を無視したようだ。
ちなみに同じ時間帯のバスに乗ると客層も似たような面子になる。この若者もバスでよく見るのだが、通路に足を投げ出すなど、おおよそ社会人らしくない態度が目立っていた。


私は頭に漫画の怒りマークが出そうになった。別に席の一つを譲っても罰は当たらないだろう。日頃の行いの悪さもあいまって、このスーツの人はきっと、人で無しなのだろうと思った。
その時だった。若者の後ろの席の女性が立ち上がり、老婆に席を譲ろうとしているではないか。そして老婆を頭を何度も下げ座席に座った。
私はこの光景を見て、凄く気分が良かった。


バスにまた人が乗ってきた。今度は老いた夫婦である。
やはりこの夫婦も足腰が衰え、バスの発進の振動でよろめき、人にぶつかる始末だった。
これもまた遠かったので会話はあまり解らなかったが、学生風の私服の女子二人組が「もうすぐ降りるから」と(言ったような感じで)老夫婦に席を譲っていた。
多分、前記した出来事の一部始終を彼女達も見ていたのであろう。善意というものは周りをも巻き込むものなのか、と感じた。


朝方の風景には珍しく、小さな男の子とその母親がバスに乗ってきた。母親は子供とベビーカーを手にしていた。
子供を抱えるのが精一杯だったのだろう。母親は危うくベビーカーを倒してしまいそうになった。が、それに気がついたご老体が転倒を阻止し、母親に感謝されていた。


今日は凄く善意の目立つ、気分の良い登校だった。
が、しかし。
隣の席で鞄を落としそうになった制服の女子がいた。が、一部始終を見ていたにも関わらず、私は手助けをする事が出来ずじまいだった。
・・・・・なんだ、よく見ると自分もスーツを着た若者ではないか。
人の振り見て我が振り治せとはこの事か。私も臆せず人助けをする勇気を持たなければならないようだ。