「地道な努力」よりも、はるかに人生を好転させる努力の仕方 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ


近道を探す努力ってのはいまいち理解できないけど。
ただ努力するより、効率的に努力すべきっていうのは感じた。
友達二人がJava*1でプログラム書いたとき、自分のやりたい事(ゲームとか)を決めて楽しみながら努力した人と、本のサンプルプログラムを丸写しして「動かない」と言ってデバッグに奔走した努力をした人でははっきりとプログラミング能力に差がでてる。
ゲームを作った人は自分のやりたい事をプログラムで表現できる。
一方、デバッグに奔走した人はデバッグすら未だにできない。本と画面をじーっと見て、スペルミスを発見して修正して終わりだからね。
先生はデバッグに奔走した人がいつか急激に能力が上がるっておっしゃるけど、この論理に従うなら無理な気がするなぁ。この論理に従うならだけど。


ただ、この文章は確実に例えを間違ってる気がする。

これによって、たった10分で、無価値なゴミでしかなかった壊れた工作機械が、

3000万円の価値のある工作機械に生まれ変わった。

時給1億8千万円分の仕事をしたことになる。

いくら時給1億8千万円分の仕事をしても、ハゲタカは結局3000万円の工作機械を得ただけだと思う。
そも、なんでここで時給換算してるの?

たとえば、あるケータイコンテンツ会社で、

赤字を垂れ流し続けるサイトがあったとする。

そして、「地道な努力」教の信者たちは、

地道な努力によって、そのサイトのコンテンツを充実させ、

こつこつとユーザビリティを向上させるわけである。

そして、ますます赤字が拡大していく。

会社も、従業員も、顧客も、だれもが不幸になっていく。

従業員が経営に参加する権利があるのなら、確かにそれはあまりよくない努力だと思う。
けど、実際に経営を行う権利があるのは経営陣のお仕事。従業員には関係ない。
仕事のレイヤーが違うのに従業員の努力が駄目、みたいな書き方はちとおかしい。
むしろユーザビリティを向上する努力をしてるプログラマを虐げるな、と言いたい。

自分を熱くさせるような議論が英語で行われている空間や集団を見つけて

思い切ってそこに深くコミットしてしまった方が、

はるかに能率よく、しかも、実践的な英語力が身につく。

とも限らない。
だって人間には才能ってものがある。いくら議論を英語で行ってる場所に行こうと、英語の才能がなかったら劇的な向上は起こらないはず。むしろ自分の能力の無さに絶望し、何もしたくなくなるんでないかな。絶望するかどうかは人によるだろうけど。

*1:ただし、一方はDojaだけど