女子高生という生物は未だにガングロとルーズソックスを装備し、コンビニで集団的に集まっているものなのだと思っている。

本日の思う事。


http://d.hatena.ne.jp/suzuchu/20091128

ぼくの個人的な思考。

ぼくは基本的に「キモい」という表現が大嫌いで、出来うる限り使わないようにしてる。
出来うる限りなので、キモいはタブーだ! 口にするだけでもおぞましい! とまでは思っていない。たまたま口にしちゃったら、まぁ、キモいって言いたくなる日もありますよね、あはは。 と、思う程度の認識。
じゃあ気持ち悪い何かに出くわしたらどういう表現をするのか、というと、もちろん気持ち悪いって言う。別に正式名称こそ正義と言いたい訳じゃない。「キモい」って言葉にはトゲを感じるんだよ。気持ち悪いよりもね。

恨むべきはかのような言葉を作り出した女子高生という異星人なのだ。

「キモい」が「貴方の作品なんてどうでもいいですし、貴方自身もどうでもいい。何かさっきから反論をぎゃんぎゃん喚いているけど、私にはどうでもいいんですよ」という思考停止という意味を含んでいて、それが価値観の多様性を否定するというのなら。
「キモい」と思ったヒトの価値観を認められない考え方はどうなの? と思うわけです。
いや別にいいんですよ、価値観の多様性を認められない輩には価値観の多様性を与えるべからず、みたいな動物園の餌をあげないで看板みたいな思考も十分にアリだと思うわけです。餌あげてウンコーが飛んでくるような動物園でしょうからね。
が、ぼく個人はそーいうの、好きではないかなと思うわけです。もーちっと言葉に寛容になるべきではないかと。
言葉の使い方一つで傷ついたり、癒されたりするのはよくある事です。だからこそ、傷つきそうな言葉に慈悲を、癒される言葉には最大限の喜びを持つべきだと思うのです。「あはは、そうだね、キモいかもね」程度に受け流せる寛大さがあると良いんだと思います。